2回目の災害地支援(宮城県東松島市)
2011/04/12 12:00
4月9日〜10日は2回目の災害地支援に行ってきました。
3月25日に入ったときとあまり風景に変化はありません。
あいにく9日は雨でしたが20数名のボランティアは泥だらけになりながら奉仕しました。
持ち込んだ、鯉のぼりとノボリも立ててきました。
<<東松原市野蒜(のびる)駅>>付近

※野蒜の文字にまで津波が押し寄せた。 ※看板はへし折られ線路は曲がっています。

※機関車も無残な姿 ※電柱がへし折られる。

※自衛隊は一列になって不明者を捜索していた。 ※近くにある自衛隊基地も残骸が横たわる。
<<ボランティア風景>>

※持参した鯉のぼりとノボリを立てた。 ※ノボリの前は憩いの場

※雨の中、藁などを撤去 ※泥だらけになって奉仕する若者

※二日目は好天の下で撤去作業 ※夜の交流では盛り上がりました。
宮城県東松島への災害支援報告
2011/04/02 8:38
3月24日夜から被災地である宮城県東松島市へ5日間の災害支援に行ってきました。
なぜ宮城県東松島市かというと先発隊として被災地に入った知人の努力とボランティアを快く受け入れてくれた避難所との巡り会いからです。
苦労して入った知人からの情報では、「大量の土砂、巨木、車などのがれきばかり」とのことでした。
居ても立ってもいられず、チェーンソーを2台購入し、食事、燃料、宿泊備品を準備して飛んでいきました。
幸い東北道は一般車両も通行可能となったが、福島県当たりから段差がすごくて車が飛びます。
ガソリンもなく、被災地で補充するわけにもいかない。しかたなくポリタンクに入れて持って行きました。
それでも心配だったので、防寒をして車のエアコンは付けずに燃費を考慮して向かいました。

※ガレキだらけとなった仙石線 ※大量の土砂が押し寄せた自宅(鹿妻地区)
■写真をみていただければわかるような惨状でした。
朝の5時ごろ現地に到着しましたが、初めてみた惨状はいまでも忘れない。
5日間の奉仕でしたが、まだまだガレキ撤去が残っています。
現地へは食糧は入っていますが、ガソリン、灯油が足りません。
そして、ガレキ撤去の人海戦術が必要です。

※最初に入った鹿妻地区自宅 ※惨状となってしまった野蒜地区
■現地の方々は力強く復興しようとしています。
5日間で3軒の家屋しかガレキ撤去はできませんでした。
そんなときに現地の方々からいろんな話を聞きました。
みなさん明るい。復興を見据えて進んでいます。

※この世の光景とは思いない(野蒜地区) ※土台だけとなった住宅街(野蒜地区)


